Second Three-Year Plan / 第二次三カ年計画(2024-2026) Tatekawa Kiyoshiro film collection 42

Artist statement

作家が同時代に生き、同じようなテクノロジーを使い作品を制作していれば、作品が他の作品と似てくるのは当然の結果であり、一部の類似性のみで作品を評価されることに大いに疑問を感じる。重要なのはその作家がいかにしてその作品を制作するに及んだかの過程であり作家の思想である。作家活動の通過点であるひとつの作品のみを表面的に観ただけで一方的に評価を下し、他作品との類似性のみを指摘する批評を私は受け入れることはできない。

意識・無意識下で行われる作品制作は、瞬間のひらめきが優先するとはいえ、そこには常に過去の記憶が関与する。それゆえ自作を含め他作品から影響を全く受けない真のオリジナル作品などあるのだろうか?いかに現代がネットにより世界中に繋がっているとしても、類似性の確認のため個人で世界中の作品を網羅することは現実的に不可能であり、作品制作が中心の作家がいちいち他作品をチェックするには時間も無いし必然性も全く無い。しかし他者からの類似作品の情報は制作を行ううえで必要不可欠な情報である。類似作品の制作方法・時代・国・メディア等による自作品との差異が、客観的に自作品を映しだす特殊な鏡となり、この鏡が作家を新たなフェーズへと導く可能性があるからだ。

そもそも他作品との類似性の何が問題なのだろうか?人間の行動は他人のマネから始まる。芸術活動もしかりで過去作品を参考に始まるのが通例であろう。意識せずとも過去作品に何らかの影響を受けてしまうものだ。そこから新たな表現方法を模索していくのが個人の活動である。日々、試行錯誤しながら継続的に作品制作を行うことが重要であり、その経過で完成した作品が他作品に似ていようが似ていまいが問題はない。繰り返しになるが、多種多様の人間がいるといっても同じようなテクノロジーを使い作品を制作していれば、それぞれの作品が他の作品と似てくるのは当然の結果である。ましてやコンピューターが芸術に導入されてからの現代では類似性は増加する一方である。

私は自身の思考をオリジナルとは思っていない。過去の思想、書籍、映画、音楽…人類のさまざまな文化の影響により形勢された、いわば劣化コピーである。自己の思考がコピーだから作品は二重のコピーである。しかし劣化コピーであるがゆえ、そこにバグが生じるのだ。それが作家性となって作品に現れる。あなたにとって私の作品がただの退屈なコピー作品としか感じられなくとも、私は作品のコピーによるバグの発生を常に期待する。コピーによるコピー、そのコピーによるコピー、そのコピーによるコピー、それが私の作家活動である。

上映作品(6作品44分16秒)

Part 230 降画 / 7分20秒 / 2024

一定速度でゆっくりと移動するフレーム、固定カメラで撮影した画像をゆっくり縦移動させる。
視覚変化と被写体の質感を体感する作品。

Part 231 写層 / 6分6秒 / 2024

写真とリズムの世界、写真に音響を追加して編集。
映像とリズムを体感する作品。

Part 232 変差Ⅳ / 8分31秒 / 2024

徐々に時間差で分割される表層、車窓から撮影した画像の時間をずらしレイヤーとして多重化する。
視覚変化と音響を体感する作品。

Part 233 境差 / 6分6秒 / 2024

分割した画面と音響の世界、固定カメラで撮影した画像を分割し時間をずらす。
分割された映像の変化を体感する作品。

Part 234 定視 / 5分21秒 / 2024

停止した視野と時間の推移、固定カメラで撮影した画像に音響を追加。
表層と音響を体感する作品。

Part 235 挿言Ⅲ / 9分52秒 / 2024

映像と言葉の拮抗、モンタージュ編集した映像に言葉を引用する。
映像と言葉のリズムを体感する作品。

Tatekawa Kiyoshiro film collection Archive

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