
Artist statement
日本製の世界地図とイギリス製の世界地図を見比べると世界観の違いに気づくだろう。地図の中心がそれぞれの国ということは、それだけの世界の見え方が存在する。普段見ている風景も中心つまり主観をどこに置くかでまるで違う景色となる。物質としての風景はひとつだが、ヒトの精神世界ではそれぞれの数だけ風景は存在する。映像もしかり、ひとつの作品に対して鑑賞者の数だけ作品は存在する。主観を変えながら何度も見ればその数はさらに増える。
主観を変えながら何度も鑑賞される映像。この再鑑賞に耐え得る映像こそ、何度見ても飽きない自然の風景へ限りなく近づく。では風景に近づくにはどうするか?ひとつの方法として作家の主観を消すことと考えた。日本製の世界地図において日本を中心からズラすのだ。日本の概念を隠すことで世界の見え方を拡張する。しかし主観を消すことは容易ではない。作家の主観とは編集作業において作品すべてに無意識に刻印されてしまう。では一切の編集をしないで撮影した映像をそのまま提示したとして作品として成立するのか?いやそれ以前に撮影行為自体にすでに被写体・フレーミングという主観が入っているのでは?ジレンマである。主観を消すことが不可能ならば逆に主観を増やしたらどうだろう。作品に複数の主観による多様性を持たせればよいのではないか。平面の地図から立体の地球儀へ。主観を自在に変えることで世界の見え方をさらに拡張する。この方法ならば、より風景に近づけるのではないか。しかしひとつの作品に主観の多様性を詰め込むのは困難であるが、自然の風景へ近づくためには避けて通れない課題であり、その試行錯誤の結果が数々の作品である。
上映作品(5作品41分15秒)
Part 282 望景 / 9分05秒 / 2025

景色と時間の推移、固定カメラで撮影した画像に音響を追加。
表層と音響を体感する作品。
Part 283 変差XIII / 7分36秒 / 2025

時間差で分割される表層、固定カメラで撮影した画像の時間をずらし線状レイヤーとして横に多重化する。
視覚変化と音響を体感する作品。
Part 284 視覗Ⅱ / 10分06秒 / 2025

停止した視野と時間の推移、固定カメラで撮影した映像によるドキュメンタリー。
表層と音響を体感する作品。
Part 285 現画Ⅱ / 7分30秒 / 2025

変化する表層の動き、写真が分解する過程の撮影および固定カメラで撮影した動画を編集。
変容する視覚変化を体感する作品。
Part 286 音景 / 6分06秒 / 2025

一定速度でゆっくりと移動するフレーム、固定カメラで撮影した画像をズームアウトさせる。
視覚変化と音響を体感する作品。
予告映像
記録映像
Tatekawa Kiyoshiro film collection Archive
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53