Experience in Material Film collection 1

会場:シアターイメージフォーラム

日時:2019年7月26日(金曜日)18:45分開場/19:00上映

 

上映作品(7作品66分

1「沈黙のための映像 Excerpt 001」 立川清志楼/デジタル/15分/2019

2「沈黙のための映像 Excerpt 002」 立川清志楼/デジタル/3分/2019

3「生体衛生保全」小松浩子/8ミリ・サイレント/8分/2015

4「人格的自律処理」小松浩子/8ミリ・サイレント/10分/2019

5「Material Snail Theatre」 金村修/デジタル・サイレント/10分/2019

6「Dead People are not Dead People Forever」 金村修/デジタル・サイレント/10分/2019

7「Cherry Bug Bomb Initiation」 金村修/デジタル・サイレント/10分/2019

 

Artist statement

「沈黙のための映像 Excerpt 001」「沈黙のための映像 Excerpt 002」/ 立川清志楼(写真家・映像作家)

何も起きていないようであり、何がが起きているようでもある。ここに物語・プロパカンダはなく、カメラにより抜粋された物質と時間があるのみ。これは、一方的な言語の誘導やイメージ操作の呪縛から解放された映像を感覚的に受け止め、受動的・能動的思考を喚起することを鑑賞者へ提示する<映像原理主義>の実践である。

「沈黙のための映像 Excerpt 001 」 立川清志楼

 

「生体衛生保全」「人格的自律処理」/ 小松浩子(写真家)

静止された時間を持つ写真は1フレームに時間を閉じ込める。展示において大量の写真を持ち込むことで、過去–現在–未来というような撮影における連続する時間の流れと、鑑賞者が展示を見ることで生じる連続する時間の流れは乱される。運動する時間を持つ映像は「今」映写されている1フレームの前と後にフレームが存在しなければ成立しない。その「今」の所在は何処にあるのか。

「人格的自律処理」小松浩子

 

「Material Snail Theatre」「Dead People are not Dead People Forever」「Cherry Bug Bomb Initiation」/ 金村修(写真家)

映像の物質性は被写体の物質性を消去することで現れる。映像に写されたものは現実の物質性がマイナスされたものであり、被写体が既にそこに存在しないという不在が映像の物質性だ。写されたものの物質性が映像のイメージに現れるのではなく、不在が物質として現れる映像にとってイメージもまた物質なのだ。

「Material Snail Theatre」 金村修